ポーランド解放戦役1 -三帝会戦

フランス帝国との7年戦争に敗北し、バルト海への進出の野望を絶たれた
ポーランドの王、ウサミミコフ・タロウスキー1世は、
失意のもとこの世を去った。
後に残されたものは、5万ペソに及ぶ各国への多額の負債であった。
後継として即位をしたウサミミコフ・タロウスキー2世は
ポーランド人民を奴隷的立場から解放するため、
各国への支払いを毅然とした態度で拒否をした。
ポーランド側の強気な態度に、フランス帝国の議会は大いに驚き
懲罰軍の派遣を満場一致で決定、皇帝ナポレオクツ・ボナパルト3世自ら
軍を率いて親征を行うこととなった。




フランス帝国が対ポーランドの開戦に踏み切ることが
確実な情勢となり、フランスの開戦意図を察知したタロウスキー2世は、
予防戦争として先制攻撃に打って出た。
これが俗にいう、ポーランド=向ヶ丘遊園解放戦役である。




真夏に相応しくないどんよりとした雲のもと
両軍は高田馬場で激突した。
古来より高田馬場は、場代の安い雀荘が林立し
クズ学生やニート予備軍、雀ゴロもどきなどにとっては
非常に重要な街であり、ここを支配することは事実上
学生麻雀界を支配することにも等しかった。




早朝11時に、高田馬場雀荘「ワセダ」付近に布陣した両軍は
ついに開戦の火蓋をきることになった。
永く続くポーランド=向ヶ丘遊園解放戦役の第一戦
第一次ワセダ会戦、通称三帝会戦の始まりである。
両軍の兵力は以下のとおり。




フランス帝国
指揮官:ナポレオクツ・ボナパルト3世
兵力:約2万ペソ
債券:3万ペソ


ポーランド王国
指揮官:ウサミミコフ・タロウスキー2世
兵力:約1万5千ペソ
債券:なし


フランス帝国は、債券まで含めると5万にも及ぶ圧倒的な兵力であり
対するポーランド側は、前日の飲み会の影響が祟ったか
合計で1万5千程度の兵力しか戦場に投入することが出来なかった。
兵力では圧倒的に不利な立場のポーランド王国ではあったが
それでもウサミミコフ2世には勝算があった。




7年戦争で敗北したポーランド国軍は、若き王ウサミミコフ2世による
軍制改革によって、徹底した規律と鍛錬を元にした
ニューモデルの軍隊へと生まれ変わっていた。
兵力的にはわずか1万5千の兵力ではあったが、これはすべて
各地の雀荘を転戦し、鍛え上げられた精鋭であったのだ。




戦闘が開始すると、ウサミミコフ2世率いるポーランド王国軍は
各所でフランス軍を圧倒した。
社会人という守られた惰弱な立場になり、同僚とぬるい麻雀しか
打ってこなかったフランス軍は、数が多いだけで戦意は乏しく
開始数半荘にして、瞬く間に損害が1万ペソを超えるに至った。
(同僚との麻雀の際に、同僚が発した言葉「北単騎で待てるなんて凄いですね!」は
現在において、格下の相手を侮辱する際の言葉として南フランスで残っている)


FXで多額の含み損を抱えている上に、負債の全額返済を目指す
ポーランド軍の勢いは激しく、ナポレオクツ3世の本営天幕にも
3倍満が直撃をし、皇帝自身が負傷をする事態まで発生した。




ここを勝機と見たウサミミコフ2世は、正午過ぎ
一気呵成にレートをリャンピンへと上げ勝負へと打って出た。
もとより、5万ペソにもおよぶフランス軍をすべて撃滅するには
高レートによる短期決戦以外に方法はなく、戦術的には正しい。
だが、この時の判断については、今の世に至るまで
各国の歴史家の間では議論が分かれている。




レートをリャンピンに上げ、フランス軍の前線が今まさに崩壊しようとする刹那
フランス軍にとって奇跡が起きた。
ミハエルビッチ・ハヤヒロフの率いるオーストリア軍が
戦場に到着したのだ。
オーストリア帝国は、フランスとは必ずしも友好的な関係ではなかったが
傷ついたポーランド政府からはむしれるだけむしれると判断し
戦場にはせ参じたのだ。
ミハエルビッチ・ハヤヒロフは、オーストリア帝国の皇帝であると同時に
高名な傭兵隊長であった。
その武名は高田馬場はおろか、辺境の西千葉にまでとどろき
西東京のハイエナ王」と呼ばれていた。




オーストリア軍による攻勢破砕射撃は、今まさに突撃を開始しようとした
ポーランド王国四暗刻を粉砕し、戦場は一気に膠着状態となった。
勝機は完全に去ったと判断したウサミミコフ2世は、全軍の撤退を命じ
ここに第一次ワセダ会戦は終了した。




損害は、フランス帝国17000ペソ、オーストリア帝国1100ペソであった。
戦術的にはポーランド王国の大勝利であり、連合側に18000にも及ぶ損害を与えた
ウサミミコフ2世の卓越した才能に、各国から惜しみない賞賛が寄せられたが
戦略的には、フランス帝国の5万ペソの債権を一挙に包囲殲滅することが出来ず
結果的に戦役を長引かせ、貴重な原稿にかける時間を浪費させることとなった。




大打撃を与えたとはいえ、フランス帝国の主力を脱出させてしまった影響は重く、
依然、フランス帝国には3万、オーストリア帝国1万5千の負債が残っていた。
これらの負債の存在は、ポーランド王国にとって大きな圧力となり
早急な解決が求められていた。




この負債を一気に解消するために、ウサミミコフ2世は新たな攻勢を企図するのだが…
それはまた、別の機会に語ることにしたい。