ブリタニア遠征1

100年前にカエサルが、吉祥寺で2万5千ペソの勝利をして以来、
ローマ人は中央線沿線から全面的に撤退し、
所謂立川は、商人すらも立ち入ることのない異境の地となった。
しかしながら近年、ガリア人の不穏分子が立川に大量に流入したことが
密偵の報告によって確認され、
立川はローマにとって無視することが許されぬ地となった。


ローマの三代目皇帝クラウディウス
立川をローマの安全保障を脅かす危険な存在とみなし、遠征軍を派遣することを決定した。
遠征軍の指揮官は、高地ゲルマニアの総督「マロングラッセ」。
そして低地ゲルマニアの総督「若武者」である。
いずれも漫研の委員長も務めたことのある歴戦の司令官であり、戦闘経験も豊富であった。
元老院ローマ市民は勝利を確信していたが、この人選に問題がないわけではなかった。


「マロングラッセ」は、漫研の29代委員長を務めたこともある名門貴族の出で
リーチとタンヤオを基本とする手堅い麻雀を得意とする。
しかしながら立川遠征直前に、長期のバイトをしており疲労の極地にあった。
また、彼は夜戦に非常に弱く、
これは夜戦を得意とする立川人に対して、非常に不利な条件となった。


「若武者」は、平民出身ながら、漫研の委員長や総務などの
重要職を務めたことのある、現場たたき上げの司令官である。
夜戦をものともしない若さと、非常に高い麻雀センスをもっていたが、
就職活動による長期の戦線離脱により
勝負勘の低下が心配された。


立川への遠征は、この2指揮官が原住民の抵抗を制圧し、
後発するクラウディウス帝が殖民活動を行うという
2段構えの計画となった。