トラジメーノ−第三回戦

トランジメーノでハンニバルが行った作戦は、
現代においても、包囲戦の理想とされるほど見事なものであった。
彼は、主力であるSIZU族を意図的に後退させることによって、
ローマ軍の主力をテンピンの罠に誘い込むことを企図した。
ローマ軍はSIZU族の後退を全面的敗走と判断し、
湖畔沿いの道に突入すると同時に、レートをテンピンに上げてしまったのである。


最初に異変に気づいたのは、行軍の戦闘をきっていたために、
湖畔の東側で待ち構えていたガリア人の壁につきあたったローマ軍の前衛だった。
彼らは正面の敵と果敢に戦ったが、丘陵のふもとに隠れていた
ガリア人が倍満級の手を次々に投入すると、次第に湖畔に追い詰められていった。
執務官はやひろは、あえて東風割れ目ダブドラの陣を引くことによって、
戦局の打開を図ろうとしたが、
一度傾いた流れを戻すことはすでに不可能な状態になっていた。


それはもう戦闘ではなく殺戮だった。
殺戮の輪は、西家北家東家の三方から縮められていった。
湖に逃げようとして逃げようとしたローマ兵も
湖水を散らして追ってきたガリア人の一発ツモによって
逃げ惑うウサギよりも的確に殺された。


5万のガリア人に対し、2万のローマ軍は絶望的な
状況でも戦いは捨てなかった。
殺戮という状況ではあっても、戦闘は9時間続いた。
執務官はやひろも、指揮など不可能な状況で
一騎兵として奮戦し、壮烈な戦死を遂げた。


ローマ軍の戦死者は1万7千を数え、
元老院は8000ペソの債権を発行することを決定した。
ローマ軍が初めて経験する歴史的大敗であった。