ガリア戦記

ガリア民族が一斉に蜂起したという報告を受けると
カエサルは副将ラビエヌスを率いて、急ぎ特急しおさいに乗り込んだ。
目的地は西千葉である。


西千葉に着いたカエサルは、そこに待ち構えるガリア人の武将達を見た。


「国立の廃人oku」「埼玉のメイドマスターなるみゆう」
「西千葉の若き指導者Taka橋」


いずれも、千葉大の誇る名立たるニート予備軍である。
ガリア人の総兵力はおよそ6万ペソに対し、カエサルの手勢は2万ペソ。
数の上では圧倒的に不利な立場であったが、
カエサルの率いる2万ペソは、カエサルの長期にわたる残業によって
得られた精鋭だった。




ここで戦闘が始まる前に、ガリア民族の風習について説明するのも良いと思う。


言い伝えによれば、ガリア民族は狩猟と略奪によって生活の糧を得ている。
行動範囲は西千葉から市ヶ谷まで。
まれに高田馬場まで進出し、ローマ人を脅かすこともある。
男達は通常裸体で、戦闘の際は青い塗料を体中に塗り、奇声をあげながら戦う。
祭日はメイド喫茶に繰り出し日々の疲れを癒す。
教育を受けることは基本的に悪徳と考えられ、生まれた子供には
囲碁と麻雀のみ教えられる。




戦闘の火蓋は、夜21時に始まった。
戦闘が始まるとカエサルは両翼に布陣したokuとなるみゆうを押しまくり
戦闘を有利に導いた。
ガリア人たちは、東風戦でカエサルに猛攻をかけ
戦列の中央を押し戻すことに成功したが、
それはカエサルの敷いた巧妙な罠だった。
ガリア人たちはいつの間にか前後左右を包囲され
点ピンの罠にかかって壊滅した。


廃人okuとメイドマスターなるみゆうは、乱戦の中で戦死。


西千葉の若き指導者taka橋は、かろうじて包囲網を突破し
千葉の山野に落ち延びていった。




ガリア人の戦死者は20000ペソを超え、
カエサルは首都ローマで7日間の凱旋式を許された。